「いでゆ」「あさぎり」「いこい」などがありました

伊豆は首都圏から近い暖かい温泉地として、昔から親しまれてきました。「踊り子」号の源流になったのが、週末のみの運行だった準急の「いでゆ」です。伊豆への列車は「踊り子」になったのは、どのような歴史を経ているのでしょうか。

伊豆半島へ向かう列車の沿革

御殿場アウトレットですっかりお馴染みになっていますが、御殿場は静岡の入り口ともいえる場所です。そして箱根は静岡県にとても近い神奈川県の南西部になります。箱根への道は小田急鉄道と箱根登山鉄道があり、JRと小田急の相互直通列車「あさぎり」があります。伊豆半島へ向かう列車とは違っているのでこちらでは、伊豆半島へ向かう列車についてです。

電車の旅

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太平洋戦争前

  • 昭和3年(1928年)4月・・・鉄道省では東京駅⇔ 熱海駅間に、休日運転の準急列車で現在の快速列車に相当する列車を1往復新設しました。その時、東京駅⇔ 熱海駅間は2時間13分でした。
  • 昭和4年(1929年)9月・・・鉄道省では、は東京駅 - 熱海駅間に土日運転の準急列車を1往復増発しています。
  • 昭和5年(1930年)10月・・・東京駅⇔ 熱海駅間を毎日運転する準急列車1往復を鉄道省が新設します。既存の2往復のうちの1往復を毎日運転として、東京駅⇔小田原駅間を1時間20分、そして、東京⇔熱海間を1時間45分で結びました。この運行時間は、当時の特急列車並みのスピードになっています。
  • 昭和8年(1933年)5月・・・三島駅(現:下土狩駅)から分岐する駿豆鉄道線(現:伊豆箱根鉄道駿豆線)の修善寺駅まで、東京方面から普通列車に併結されて来た鉄道省の客車が週末運行で乗入れるようになります。こちらは、戦時体制の強化によって、のちにいったん消滅します。
  • 昭和9年(1934年)12月・・・丹那トンネルの開通で、熱海駅 ⇔ 沼津駅間が開業しました。国府津駅--- 熱海駅---- 沼津駅のルートが熱海線から東海道本線となって、それまでの国府津駅---- 御殿場駅---- 沼津駅間は、東海道本線から御殿場線となりました。また、駿豆鉄道線(現:伊豆箱根鉄道駿豆線)の起点も、新線上に新たに設けられた三島駅に変更されました。東京駅⇔熱海駅間を運行していた準急2往復のうちの1往復は、沼津駅まで運行区間を延ばすようになったため、それとは別に東京駅---- 熱海駅・新宿駅---- 沼津駅間に下り土曜日・上り日曜日のみ運行される準急列車を設定されました。
  • 昭和12年(1937年)12月・・・この年7月に日中戦争が勃発しています。この日中戦争の影響で「遊楽旅行」に次第に制限がかかるようになりました。そのため新宿駅⇔沼津駅間運行といった、一部の週末準急列車が廃止されました。
  • 昭和13年(1938年)12月・・・伊東線の熱海駅⇔伊東駅間が全通しました。そのため東京駅⇔熱海駅間を運行していた毎日運転の準急列車の1往復が、伊東駅まで延長運転されることになり、東京駅⇔伊東駅間を2時間22分で結ぶことになりました。
  • 昭和15年(1940年)10月・・・昭和12年7月に始まった日中戦争の戦況が次第に泥沼化していくなかで、準急列車の停車駅が増やされたことで、定期列車に関しては東京駅⇔国府津駅間では普通列車と同じ様になりました。昭和17年(1942年)11月・・・戦時陸運非常体制実施のために、東京駅⇔沼津駅間などの準急列車が、すべて廃止されることになりました。

太平洋戦争後の「いでゆ」「いこい」について

  • 昭和24年(1949年) 2月・・・東京駅⇒ 伊東駅間の下りだけに毎週土曜日運行される準急列車が1本設定されました。この準急列車は「湘南準急」と呼ばれました。ちなみに戦後の「準急」は有料列車だったため、急行列車よりも設備や速度などでも劣っていたことから、その分料金は割安な料金設定となっていて、昭和21年(1946年)11月にすでに登場していました。
  • 昭和24年(1949年)4月・・・「湘南準急」に、駿豆鉄道線(現:伊豆箱根鉄道駿豆線)の修善寺発着の列車が併結するようになり、駿豆鉄道線(現:伊豆箱根鉄道駿豆線)への乗り入れが再開されました。
  • 昭和24年(1949年)4月・・・10月上り列車が毎週日曜日に運転されるようになりました。そして「湘南準急」に名前が付けられ「いでゆ」となりました。その当時の国鉄の列車愛称は、この年9月に登場したばかりの東京駅⇔大阪駅間の特急「へいわ」と、夜行急行「銀河」だけでした。よってこの「いでゆ」とネーミングされたことは、当時を考えるととても画期的なものでした。
  • 昭和24年(1949年)12月・・・「いでゆ」の姉妹列車として、東京駅⇔ 三島駅・伊東駅間に同じく週末の土曜下りで日曜上り運転の「いこい」が設定されました。

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湘南特急かなりの速度を誇る~昭和25年から昭和30年~

  • 昭和25年(1950年) 10月・・・東京駅⇔ 伊東駅・修善寺駅間に、週末のみの準急「あまぎ」が設定されました。今までの準急では客車が使用されていましたが、「あまぎ」は湘南電車と呼ばれて、3月から普通列車などで運用についていた80系電車を使用して、優等列車の電車使用のさきがけとなりました。この当時、駿豆鉄道線(現:伊豆箱根鉄道駿豆線)三島駅⇔修善寺駅間の架線電圧は600Vだったため、駿豆鉄道線(現:伊豆箱根鉄道駿豆線)鉄道への乗入れに際して、三島駅の国鉄線⇔ 駿豆線の渡り線に死電区間を設けたほか、車両の方にも特殊な装備を施して対応しました。
  • 昭和25年(1950年)11月・・・東京駅⇒伊東駅間に、下りだけの客車週末準急「はつしま」を設定しました。そしてこの時には、「いこい」も修善寺駅まで運行されるようになりました。下りの「あまぎ」では東京駅⇒ 熱海駅間を1時間29分で結び、東京駅⇒伊東間を2時間3分で走破しました。この速度は「いこい」「いでゆ」よりも、全区間の所要時間にしては30分早くなっていて、東京駅⇔熱海駅間の所要時間は当時の最優等列車だった特急列車の「はと」と同じでした。これは電車の速達性を見せ付けるものになりました。
  • 現行の特急の「踊り子」と比べても、東京駅⇔熱海駅間でみても約10~20分、そして東京駅 ⇔ 伊東駅間で約15~25分程度しか短縮されていないので、昭和25年という当時の水準で考える途、とても速い速度で結んだ列車で、速さから準急「あまぎ」は湘南特急と人々から呼ばれました。
  • 昭和26年(1951年)3月・・・「いでゆ」と「はつしま」は80系電車化されました。それと同時に「いでゆ」は臨時列車にはなっていますが毎日運行されるようになりました。 「いづ」「いでゆ」のヘッドマークには、スピードをアピールする意味も込めて「湘南特急」の文字が書き込まれています。
  • 昭和27年(1952年)3月・・・「いでゆ」は、伊東行の二等車で現在のグリーン車に相当する車両を今までの2両から3両に増結します。二等車が増えた分、三等車(現:普通車)を1両減車しています。
  • 昭和28年(1953年)3月・・・「あまぎ」は「伊豆」に改称されました。そして「あまぎ」は臨時列車ではありますが、毎日運行になりました。
  • 昭和29年(1954年)10月・・・「いでゆ」と「伊豆」は、臨時列車から定期列車に格上げされました。「伊豆」と「はつしま」は着席を確保するために、列車指定・枚数制限の準急券を販売するようになりました。それと同じ時期に、新宿駅⇔ 熱海駅間に準急「あまぎ」を設定しました。この「あまぎ」により、昭和12年(1937年)12月に戦前の温泉準急が廃止されたあとに、実に17年ぶりとなる新宿が始発の伊豆方面列車が復活しました。「あまぎ」は、1980年代以降に横須賀線電車・湘南新宿ラインといった多種の旅客列車が運行されるようになりましたが、当時はただの貨物線であった品鶴線を経由したりといった、変則的な運行経路をとっています。
  • 昭和30年(1955年) 7月・・・電車準急の修善寺編成の東京駅⇔熱海駅間の連結位置を、今までの熱海方から東京方に変更しました。
  • 昭和30年(1955年) 10月・・・「いでゆ」の伊東編成に、3両連結の二等車のうちの1両が修善寺編成に組込みになりました。そしてそれ以外の電車準急の修善寺編成には。三等車を1両組込んで、5両編成に増結されました。
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踊り子号に乗って伊豆へ行こう

踊り子号に乗って東伊豆の温泉でほっこりとリラックスした時間を楽しみましょう。

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